次元を越える驚異の秘術

ナワリズムの秘法公開
変身術や幽体離脱など、ナワリズムの秘法は驚異そのものだ。
その秘法を伝えるアステカ王国が悲劇的な最後を迎えた時、ナワリズムも消滅したかに見えた。
しかしそれは今も一部の人々によって実践されているのだ。しかも、だれにでも習得可能なテクニックとして --
メキシコのシェラ・マドレ山脈の高地にひっそりしたたたずまいをみせる、ナワリズムの学校。
かつて「ワシの騎士」や「タイガーの騎士」を育て、アステカ文明の玄妙な花を咲かせたナワリズムの殿堂に足を踏み入れた私は、あたりに潜む霊的なエネルギーを満身に感じたように思う。
そして、いまもここで、我々の日常的な感覚の感知しない次元で、ナワリズムの伝統が生き生きと脈打っているのを感じ取ることができた。
今はアストラル体でしか入ることができないとされるこのマリナルコの寺院で、どのような教育がなされてきたのだろうか。
PART 1 失われたアステカ・ ナワリズムの王道を求めて
聖なる父と母のふところで子供たちは学んだ
マリナルコの学校に入門を許されるには、予備課目として、数学 ・天文学・歴史・医学・植物学・文献学などのいわば教養的な課程を経ていなければならなかった。 ただ植物学1つとっても20ペー ジでみたように、われわれが学校で教わる学問とは次元がちがうのである。
これらの学科とならんで神学・祈祷・降雨術・痺身術が予備科目と日と して必須であったことからみてもその辺の事情がうかがえよう。志願者たちは、希望すれば7歳 から初級の学校に入ることができた。そこがいわば予備コースにあたるわけだ。学校は寄宿制だったので、子供たちを送ってきた両親は、入口で別れを告げなければならなかった。
スペインによる征服の後、スペイン人の僧サアグンによって編まれた貴重な記録『コディセ・フロレンチィーノ』から、当時の様子をうかがってみよう。
息子よ 私たちは おまえを産んだ父と母 これからは本当の魂の聖なる父と母が おまえを育て 導いて下さる
正しい習慣を養い 正しく見 また聴くことができるよう 目を開き 耳を開いて下さるだろう
そのかたがたは おまえたちをとがめしかり そして教え導いて下さる権威ある方々だ
おまえの母は おまえの世話をし 苦労をたえ忍んできた おまえが眠るときも気をつけて
おまえの身体から出る汚物を処理し 胸の乳も与えてきた
しかし もう おまえは小さくはないのだからわかるだろう
ずっとずっと昔 おまえの魂の父と母が 約束したことを この家に住んでもよいと
この学びの家に住んで 神様とその子であるケツァルコアトルを愛し 神聖なこの家を洗い 浄めに来なさいと
だから 私たちは おまえをここまで連れてきた これからは おまえはこの家の子 これがお前の家なのだ
だから昔の家のことはもう忘れて このきびしい修行の家で 幸せに暮らし みがかれ、洗心し、宝石のように輝き
バラの蕾が開くように花咲き 強大な人々はみな この家からでたのです (『コディセ・フロレンティーノ』)


このようにして入学した子供たちは、21歳になるまで、ここで宇宙の科学や芸術を学び、超常感覚をみがくための訓練を受けた。21歳になり、基礎的な「知」と「感覚」を身に付けた生徒は自分の適性と希望に従って、ふたたび普通の生活にもどるか、または、さらに深い知を求めて修行を続けるか、が決められるのだった。
修行の道を続行する者は、ここで、彫刻や絵画、医学、天文学、あるいはエリートコースとも言うべきナワリズム、などのいずれかの学校=寺院に送られ、マスターへの途をたどることになる。

では、アストラル体(星気体)でしか入門できない。
学校は、すべて男女共学であり階級などによる差別はいっさいなかった。
ここで重視されるのは、生れつきの天分と、バランスのとれた内的な発展である。
とくに道徳の基盤となる心理的な素地の修養には幼い時から細心の注意を払うよう指導された。たとえば、「性」に関しては、
ぼうや 犬が食べ物にむらがるように 女性に襲いかかってはいけません
犬畜生のように ふるまうものではありません
時のくる前に 女性に熱中し 溺れるのは 犬が食物をあたふたと むさぼり食らうのと同じです
女性を欲することがあっても がまんしなさい
強くたくましく成熟した男になるまで 心を強くしてがまんしなさい
ほら マゲイ(竜舌蘭)を見てごらん
まだ青いうちにミエル(樹液)を取ろうとしてもだめでしょう
ミエルをとるには 十分育たせ たくましく熟するまで待たなけりゃ
そうすれば おいしいミエルが取れるもの おまえもそうしなきゃいけません
女性に触れる前に 十分育ち 成熟し そうして初めて役立てる
そうして背丈の大きな たくましい 美しい子供を作るのです
(『コディセ・フロレンティーノ』)
ここでは比喩的に語っているが、昔の人たちは、性腺内の生殖機能 は、女子18歳、男子21歳まで成熟しないということ、そして物質を完全に超越するためには、自分自身を克服することが必要だということをよく知っていたのである。
これらの学校では、20歳の生徒たちが19歳の生徒たちに教え、19歳は18歳に、というように、次々に下の生徒に教える方式をとっていた。「習う」「知を授かる」という 受動的な姿勢だけでは、知育に偏向をもたらす。
ここに「教える」アクティブという能動的な場面を交差させることによって、その偏向を正すにとどまらず、さらに理解の質を飛躍的に高めることにもなるという深い教育思想が生きていたのだ。
魂の故郷アストランへの旅
マリナルコのナワリズムに関する歴史的記録に、『インド諸島とヌ エバエスパーニャ(アメリカ)の歴史』がある。著者は、16世紀のカトリック神父、フライ・ディエゴ・ドゥラン。
彼は、スペインのメキシコ征服直後、首都テノチテ ィトランの近くチャプリン丘付近を飛ぶワシの騎士たちをいまだ見ることのできた時代に、原住民から直接話をききながら、アステカの古文書のデータを収集したのである。
その記録の中に、次のようなものがある。
王モンテスマは、スペイン人のメキシコ侵略時の王で、アステカ軍降伏の前年、王国の滅亡に先んじて死んだ。
以下の物語は、スペイン人の上陸前夜の暗い予感の時代を描いたものである。


メシカ族の王モンテスマは、自分の富と栄光を見ては、神にまでなったものかと、うぬぼれていた。
王国の司祭たちは、王より富んでいたが、欲望というものを克服した謙虚な賢者であったので王に言った。
「われらの王よ。いかに多くの人民が、あなた様に服従するからといって、うぬぼれてはなりませぬ。
あなた様が、死んでしまったと思っている祖先の王たちは、太陽の光が、ホタルの光をしのぐように、あなた様をしのぐお方たちです」
すると王モンテスマは、自尊心よりも好奇心にうながされ、祖先の住む土地「聖なる暁の館」へ使節を送るように命じた。
「聖なる暁の館」は、アステカの祖先がやってきたという、パカクタンボのクフの洞穴より、もっと遠い所にあるという。
この、気の遠 くなるほど遠 い、神秘的な場所まで、無事に到達する手段と、もうだれも知る由もない道を見つけるのが、もっとも困難な課題だった。
そこで王は、顧問の長老トラカエレルを呼び、次のように聞いた。
「トラカエレルよ、われらの神ウイツィロポシトリが、われわれにお授けになった、栄光と富の一部の贈り物を、私のもっとも勇壮な首領たちにもたせ、先祖と神々の足許に、
うやうやしく奉献してくるよう、使節団を送ることを決めたのは、知っているだろう。
また、神ウイツィロポシトリの母上ご自身も生きておられると聞いた。子孫であるわれわれのかちとった偉大な繁栄を知れば、きっとお喜びになるであろう。」
トラカエレルは答えた。
「偉大なる王よ、あなた様のお話になることは、あなた様ご自身の意志や、世俗的な商いのためではありませぬ。
どなたか崇高な神性があなた様をつかわして、このような、前代未聞の冒険をさせんとしておられるにちがいありませぬ。
しかし、忘れてはなりません。あなた様の決めたことは、力や勇気でなせる業ではありません。武器や利口な政治手段で解決できるものでもありません。
これは、ブルハ(魔女)や魔法を知っている呪術師たちの中でも、特に秀でた人達、つまりそのように遠い場所まで到達できる人たちの力を借りるよりすべがありませぬ。
主よ、ご存知でしょう。
われらの古い言い伝えにもあるように、その道は、すでに断ち切られており、また、その道中には、恐ろしい、とうてい勝ち目のない怪物が住んでいるのです。
また底なし沼や、うっそうと茂った草原は、どんな向こうみずな人でも命を失うだろうと言われています。
ですから王様、私の申し上げるように、賢い人々を捜しなさい。彼らなら、魔法を使って、もしかしたら、人間ならまちがいなく死んでしまうところも無事に通って、
我ら祖先の住んでいるという場所から、もどってこられるかもしれません。」
モンテスマは、賢者トラカエレルの話をきき、クアウコアトルという、宮廷の歴史学者のことを思い出した。クアウコアトルとは、「知の蛇」という意味で、だれも彼の年齢を知ることがないほど年をとった長老である。
モンテスマは、クアウコアトルの住む山の家まで着くと、尊敬の念をこめてあいさつをした後、次のように言った。
「われらの父よ、気高い長老、わが氏族の栄光。あなた様に会ってききたかった。
われらの父と母がその血をひくという、われらの神ウイツィロポシトリと、われらの尊敬すべき祖先が住むという、クフの天の洞穴について、
あなた様の生きた聖なる日に、何か記憶はありませんか」
長老は、ゆっくりと答えた。
「偉大な王、モンテスマよ」
「あなたの下僕である私が、おたずねの件について知るところは、大きな湖の中央に、アストランと呼ばれる丘があり、そこに、7つの洞穴があるという。
そして、我々の祖先は、そこで年をとることもなく、幸福に住むという事のみです。」
モンテスマ王は、領地のありとあらゆる魔女や呪術師を集めさせた。このようにして、60人におよぶ魔術師を集め、使節団をつくった。
魔法使いたちは、トゥーラのコアテペックという丘に向かって発つ前に、身体に香油をぬり、魔法のサークルをつくり、祈念を行なった。
そして彼らは、それぞれのナワールを呼び、鳥やタイガーなど に変身してアストランに向かったのである。
アストランのある大きな湖に着いた彼らは、もとの人間の形に返り、祖先に会う準備をした。
アストランの先祖、下界を憂う
彼らを迎えたのは、ひとりの長老だった。疲れきった一行の様子を怪しんで「あなが方の土地では何を食べているのですか」ときいたりした。
彼らが、動物の肉やプルケ(竜舌蘭のどぶろく)だと答えると、憐れんで「そういう食物があなた方を無器用に重くするのです」と言い、彼らがたずさえてきたおみやげもここでは役に立たない、と言って一行を驚かせた。
長老はそう言うと、全員の荷物を集めてかるがると肩にかけて坂道を登っていった。項上に着くと汚らしく地獄の底からはい上がったようななりをした、一人の女が出てきた。彼女は涙ながらに、メシカの人々に言った。
「私の息子たち、よく来てくれました。おまえたちの神であり私の息子であるウイツィロポシトリがこの場所から行ってしまってからというもの、
私は悲しみのあまり涙を流しつづけ、そしてあの子の帰りをまちわびています。あの日以来、私は顔を洗うこともなく、髪をとくこともなく、きものも着がえていません。
私のこの悲しみの喪服は息子がもどってくるまで続くでしょう。」

モンテスマのメッセージと贈り物を受けとると彼女は訪問客たちに言った。
「私の息子に伝えなさい。巡礼の時はすでに終わりました。
すべての人民は飼いならされ、屈従させられているからです。
ですからやがては外国人がやってきて、すべては奪い取られるでしょう。
息子は下界での使命をはたしたあと、我々の膝元にもどってくるでしょう。」
そして息子のために一枚の綿布を渡して別れを告げた。
さて丘をおりかけていると、この年老いた女がもう一度話しかけた。
「ちょっとお待ちなさい。この土地では人は年をとることがありません。
この私の年老いた召使いをつれて行きなさい。
そしてあなた方の場所におりるまでに、いかに若返るかをごらんなさい。」
実際、この年老いた召使いは降 りはじめたとたんに若返りはじめて、そうして降りて行くほど、どんどん若くなっていった。
「ごらんなさい。息子たちよ。この丘は、降りたり登ったりすることによって、どんな年齢になることも可能です。
動物の肉とプルケと物質の豊かさに甘んじてあなた方は大食し、心はすさみきっているので理解できないでしょう。
そんなあなた方のために、お返しとして、この場所でとれるあらゆる種類の鳥、魚、野菜、バラの花を送らせましょう。」
使いの者たちは、来たときと同 じように香油を体に塗り、動物に変身して、帰路についた。モンテスマとトラカエレルは使いの者たちの話に驚嘆し、特に先祖の聖なる土地の肥沃さに感心した。
収穫は一度に行われ、食卓に運ばれるころには、すでに次の収穫物が育っているという。それで、かの地の人々には空腹や貧困は決して存在しないのだ。
モンテスマ王とトラカエレルは魂の故郷に、心の底からなつかしさがこみあげ、さめざめと泣き始めた。この下界で人間としての使命を果たした後、ある日かならず帰り住みたい、と限りなく切願した。
ここまでが、ドゥランの歴史的叙述で、ナワリズムに関連してアステカの予言から形而上学までをいきいきと描いたものてある。
これらのデータは、メキシコ史の文献として、しかるべく記録されており、マリナルコの学校=寺院などで、教えられ実践されたナワリズムの歴史の古さを物語る1つの例である。
今年の1月、この記事の取材のために、マリナルコを訪れた時、ナワールの証人と言うべき一人物と会見する機会をもつことができた。マリナルコ近在で農業を営む、リーダー格の1人、ドン・アセンシオ・ゴンザレス氏がその人である。
彼は、ナワールになるために使われるテクニックについて、次のような興味深い話をしてくれた。
彼のコンパドレ(洗礼を受けた子の実父と教父が互いに呼び合う語)ラミーロ氏は、ドン・アセンシオに、約150キロ離れた隣りの県でとれる果物を手に入れる約束をした。そこで2人の助手に果実を入れる大きなカゴを用意させ、ちょっとそこで待つようにと言った。
その間、ドン・ラミーロは、ゴミや乾いた木の枝をかき集め、火をつけたかと思うと、「シェリト・フェリーぺ、キリストの名において、私をお助け下さい」という呪文をとなえ、何やら大声で叫んだ。(シェリト・フェリーペというのは、聖人ピリポに対する呼びかけである)
火が燃えつきると、灰の上を横切った。すると彼の外観が、だんだんと変わり始め、もう一度手前から向こう側に灰を縦断すると、すでに変身は終わり馬の姿になっていた。

してくれたゴンザレス氏(右)
2人の助手に、カゴを忘れずに 馬上に乗るように言うと、全速力で隣の県テポソトランまで果物を取りに向かった。
かごがいっぱいになると、もう一度助手を乗せて、マリナルコまでの山道を駆けぬけ、わずか3時間で戻ってきた。車でも、往復7時間はかかろうという距離である。
この山道は、ずっと昔、メキシコ湾のベラクルスから、毎日新鮮な魚を、500キロ離れた首都まで運ぶためにも使われていた。
また、マヤの人々も、ユカタン半島の密林を縦横に走る主要都市連絡道路網を多く残している。
考古学者たちは「車輪を用いることのなかった彼らが、いったいこれだけの距離におよぶ石畳の道を、何の用途に使ったのだろうか」と首をかしげているが、マヤの人たちも飛ぶように走る術を心得ていたのである。
ドラキュラはナワリズムを悪用した

ナワリズムの実践方法と用途は多岐におよぶが、メキシコ特有のものというわけではない。
世界中のどの民族にも、このすばらしいナワリズムの痕跡、伝説などが残されているのてある。
チベットでは、ニングマパと呼ばれる仏教の一宗派で、山間の長いけわしい道のりを疲れることなく短時間で走り回る術が使われていたと伝えられる。
また、比較的最近に属することだが、中国共産党の兵がチベットに進入した際、兵士たちは、山あいでこの種の秘法に通じている者に出会ったら、ことごとく殺すようにという命令を受けたという。
また、元来エジプトを発祥地とするジプシーたちは、魔術や占いに長じていただけではなく、読心術や消身術に秀でていた。この消身術は、身体ごと消え失せ、一瞬のうちにはるか離れた場所に移動する術で、ナワリズムの最高の秘術の一つなのだ。

インドでは今でもファキール(行者)が、大道で体中に針をつき刺したり、空中浮揚(レビテーション)をしたりしている。ナワリズムを見世物にしているわけだ。
ギリシャでは、もっともよく知られている例として、ティアナのアポロニウスの話がある。
ピタゴラス後の哲学者で、一方、奇跡を行う魔術師としても有名なアポロニウスは、その「邪法」の
ため何度も当局に捕らわれそうになった。
そして、とうとう捕まるという段になったとき彼は「私の身体を捕えることができても、私の魂を捕えることは決してできまい」と取り囲む人々の前て叫んだ。
しかし、一瞬考えた後「いや魂だけでなく、私の身体さえ捕えることはできまい」と言い残したかと思うと、マントをくるっとひるがえし一周するや、人々の目の前で消 えてしまったのである。
メキシコ・シティの南東、オアハカ地方では、ナワールはハゲタカになる例が多い。夜空を飛ぶハゲタカを見かけたら、ナワールと思ってまちがいない。本当のハゲタカは昼間しか飛ばないのだ。
また、よく火の玉の形をして飛ぶことがあるが、これはとくにブルハ(魔女)の間でよく行われる変身である。メキシコの他の地方では、山や密林を疾走したり、壁を通りぬけたりするのにロバ、馬、ジャガー、タイガーなどに変身する。
この変身に関して、珍しい話がある。メキシコ・シティから約100キロのプエブラ市で、犬を人々がなぐり殺したところ、その口の中に金歯が発見され、驚き怪しんだ。ナワールの犬だったのである。
カルロス・カスタネダはその6冊の著書の中で、ナワリズムの肉体的変態(トランスフォーメーション)と心理的準備のためのテクニックを詳しく説明している。
各国のナワリズムについて紹介したついでに、世界的にもっとも有名なナワリズムの例をここでとり上げる。意外に思われるかもしれないが、それは、かのドラキュラである。
小説の登場人物としてしか知らない人が多いかもしれないが、この実在したルーマニアの伯爵の応用した科学原理は、まさにナワリズムなのである。

オオカミ人間の前身である。
ドラキュラ伯爵は、自分の欲望を満たすためにのみ、コウモリに変身し処女の血をすすったとされている。ナワリズムが悪用された例とみられるが、この伯爵の子孫の1人が、現在アルゼンチンに住んでいて、先祖の真実を証明する準備があると言明していることを、ここで付け加えておこう。
ドラキュラの変身のプロセスは ヨーロッパの一部では、「リカントロピー」の名で知られている。満月の夜におおかみに変身する現象をさすが、これは意図的ではなく(つまり「知」を媒介にするのではなく)、心理的退化が昂じた結果、動物本能と同致して起こる偶発的事故と言うべきであって、ナワリズムとは異なる。
リカントロピーと似ているものにアフリカの「レオパルド人間」「マントヒヒ人間」がある。また、文明が進んだ現代でも、 この種の現象を観ることができる。ラスベガスのショーのハイライトとして、シグリットとロイという2人のすばらしい魔術師が、観客の目の前で空中浮揚し、タイガ-やライオン、ときには象と共に姿を消す。
また、ロサンゼルスには、空港で観客が手をつないで囲んでいる飛行機を、一瞬のうちに消してしまう若い魔術師がいる。手品師の手先の器用さやトリックの存在も決して否定できないが、真のナワリズムのテクニックを、見世物の一部に応用することもまた、不可能なことではないのである。
PART2 ナワールへの超越- こうすればマスターできる
現代科学を超えるナワリズムの超波動理論
アステカの伝承の中に描かれたナワリズムの世界、さらに世界各国に残る痕跡を、いままで私たちはみてきたが、ナワリズムは決して歴史の彼方に埋もれた秘術・妊術ではなく、また特殊な人のみが体得できるものでもない。それが私の考えである。
現代科学の常識を全く無視 しているかのようにみえるかもしれないが、じつは逆に現代科学の限界を見定めた上で、その限界をのりこえるものとしてあるのだ。現代物理学が理解する限りでは、この宇宙には光速以上の速度はありえない。逆に、光速を最高限度 とする空間としてしか、世界をとらえていないということである。
だが、現在アカデミックな科学者達も、アインシュタインの理論を応用して、ナワリズムの秘密を解明しようと研究を進めている。しかし意識の状態の変換によって、超光速の4次元世界(時間を入れると5次元)に移行できることを、ナワリズムは聖なる「知」としてずっと以前に知っていたのである。
意識の状態の変換というのは、たとえば脳波の振動数を調節することであり、夜、眠りに入る直前のバイブレーションに、秘密のキーがある。我々の脳波を、エンケファログラム(脳波計)で計ると、目覚めている状態では、一定の振動の波形があり、目を閉じただけで波形に変化が見られる。
そして目を閉じてから、夢の最初のイメージが現れるとき、すなわち眠りに入るその一瞬の振動が次元への変換を可能にするのである。
子供に多いが、いわゆる夢遊の癖のある人は、無意識のうちにこのナワリズムを実行しているわけだ。無意識でありながらも起き上がり、歩き、階段を登り、というように本人にまったく記憶がなくても、ありとあらゆることをして、また寝床にもどることができる。
ナワリズムの多岐にわたるテクニックは、引力・重力超越の原理と技法の他に、自然界に存在するありとあらゆる物質のコントロール法にまでおよぶ。
われわれは、通常いわゆる3次元の世界に住んでいて、そこではあらゆる物体が、長さ、高さ、広さを持ち、48の基本法則に支配されているのである。そして、その中の1つが、万有引力の法則であるが、意図的に第4次元の世界に移行できるようになると、そこは超光速の世界であり、48の法則は24に半減する。
そして広大無辺の心理の世界の全容に直面することになるのだ。そして、このサイキスの世界の存在を前提することによって、これまで謎としてわれわれを悩ませてきた現象の多くを解明することもできるようになる。

「神かくし」と呼ばれる人間や船体の消失、幽霊、幽体離脱、奇跡的治療、さらに生命の起源さえ・・・体験的に解明することができるのである。
(生命は、3次元という物質が凝固体として現出する世界に現れる前に、より繊細な次元に現れるからである)。
確かな筋からの情報によると、日本のテクノロジーは、なんとこの光速以上の振動の世界を画像化する受信メカニズムを実現するところまできているという。この振動に同致すると、前述したようにいかなる観測装置でもとらえることができなくなると言われていたのだ。
受信装置のことは別にしても、4次元の世界に入った人間は自分自身の眼で地球の創造以来の歴史、アトランティス大陸やレムリア大陸の歴史をも見ることができ、さらに人類の未来さえ見ることができる。従って、地球上に起こる不可解な現象を、すべて宇宙人の所業とするのは間違いだということを、身をもって知ることになるだろう。
他の惑星に、人類の兄弟が存在していることを否定するものではないが、全宇宙の調和の実現のためにわれわれ人類に課せられている使命を果たすことが肝要である。

世界各地に、形態は異なるにしろ、ナワリズムを実現する人々がいることは、すでにみた通りである。ここでは、医学の分野で実用化の道を実現させた、メキシコ在住のドクター、グスタボ・ヴィージャレアルとそのチームをあげよう。
彼らは、ガン細胞や嚢腫などを外科手術することなしに患者の身体から除去することができる。4次元からの作用でもって、診断し施術するので、Ⅹ線も内視鏡も必要としない。もちろん器具も不要だ。前後3分間位で完了する。
ナワリズムの練習~異次元への超越
それでは、ここでナワリズムに必須の超常機能を発達させるための練習テクニックをいくつか紹介しよう。実践する上で、いつも重要かつ必要不可欠なことは、「意識集中」である。意識を四散させると、エネルギーは失われてしまうのである。
まず、自分の望む物事に意識を集中させる。たとえば、アトランティス大陸へ至る道を意識の的とする。そうして、そういうことは実現不可能だというような「理性の働き」を完全に除去し、身体中のすぺての細胞を彼ら自身の意志にまかせるため、深い瞑想(メディ テーション)に入る。
ここまでくると、エクスタシーに達する。一種の「無我の境地」で、何も考えずにいながら宇宙のすべてに自己を感じとるという名状しがたい境地である。そして、この瞬間に、4次元への扉となる振動に達するのである。
この時、宇宙空間に飛び出す気持ちて、身体を押し出す。マリナルコの「タイガーの騎士」たちは虎の毛皮の上に横たわりリラックスした虎の姿勢をとり、軽く眠気を導いた。ここが、重要なポイントである。完全に起きている状態では、変身をひき起こすための振動に至ることはむずかしい。
逆に、完全に眠った状態でも いけない。眠ってしまうと、その的確な振動は、すでに通り過ぎてしまったことになる。であるから、修行者は、ちょうど眠りと目覚めの中間にいなければならない。

ナワールに変身するためのポジションを図解したもの。


眠りに誘われていながらも、まだ通りの騒音や、遠くの話し声が聞こえる・・ そのとき、その意識を持続させ、「意志」と「想像」の力を共振させ、結合させ、虎に意識を集中させて、次のように自分自身に向かって言う。「われわれはわれわれに属する」このようにして、ゆっくりと立ち上がったときには虎に変身している。
第一回目の実験で成功しなくても、あきらめず忍耐強く練習を続けることによって、われわれの細胞自身が、機械的に慣れて、意識を持つにいたり、変身へのきっかけとなる瞬間を肉体に知らせるようになる。
この種の修行に、特に重要なのは「恐れ」と「疑惑」を除去することである。恐れや疑惑を感じる時、人間の脳内にはそれぞれ灰色と深緑色の物質が分泌され、進行中の振動の障害となるのである。
昔の「ワシの騎士」や「タイガーの騎士」はコンセントレーションのささえに、動物の姿を選んだが、現代ではささえに具体物をとる必要はない。肉体を構成する分子は、4次元の世界では柔軟な展延性のあるものである。夢の中で鳥になったり、魚になったりした経験のある人もいるだろう。
夢を見る体、つまりアストラル体も同じ性質を持つものなのである。この場合アストラル体は、眼前に鳥や魚を見ていなくても鳥や魚に同致することができるわけである。
さて次に、修行者は左を下にして横になり、左手の手のひらで頭をささえる。そうして、ゆっくりと眠気を誘い、自分自身の眠気を注意深く監視するのである。いつものように夢の奴隷となるかわりに、自分の夢のスパイにならなければならない。そして夢の最初のイメージが現れたら、眠気を大切な宝のように大事に大事に持続させながら、床からゆっくりと起き上がる。半分眠り、半分目覚めながら、である。
それから、ちょうど夢遊病者のように、バレエの踊り子になったつもりでジャンプする。もし、月面に向かった宇宙飛行士のように宙に浮いたなら、肉体はすでに4次元に入ったのである。自信を持って家を出、どこでも地球上のどんな遠い所にでも行ってよろしい。また、歴史をさかのぼって、古代世界を訪ねてもよいし、未来世界に飛び立ってもよい。ただし、そうして得た知識を人類の進化のために使わなければならないのは言うまでもない。

からメキシコ・シティにテレポートしたもの。出発点と到着点を示したが、線で対応する地点が記されていないものは、その地点で消失したものである。
ナワリズムの練習 アストラル・プロジェクション(幽体離脱)とレピテーション(空中浮揚)
夢を自由にコントロールできるようになった人、すなわち意識的、意図的に夢を見ることのできる人は、1日24時間、精神的に活動していることになる。別の言葉で言えば、精神と肉体(物質)との調和ある二重生活を送っていることになる。
ここで、1つ明白にしておきたいことがある。これらの練習・実践の際、時として肉体は4次元に入ることなしに、そのかわりにアストラル・プロジェクション、つまり幽体離脱を経験することがあるのだ。
ナワリズムとアストラル・プロジェクションの2つは、互いに補完し合うものであり、類似した秘術ではあるが、歴然とした相違がある。

ナワリズムの場合は肉体もともに4次元に入るわけだが、アストラル・プロジェクションでは、アストラル体は肉体を置いて行くので、寝床に横たわったままの肉体をアストラル体は見て確認できるのである。
これらの現象が起こりつつある時には、細いかん高い耳鳴りのようなものが押し寄せてきたり、身体の一部にかゆみやくすぐったい感じが走ったり、また頭や手足が途方もなく大きくふくらんて行く感じにおそわれたりする。
これらは、身体の振動数の変化によるものであり、間違っても掻いたりしてはいけない。掻くと効果を失ってしまう。そして我にかえ
ることによって、3次元の世界にもどってしまうのだ。
逆に、もどってこられなくなるのでは、などという恐れも禁物である。出発点にもどるには「帰りたい」と強く望むだけて十分である。一生涯、毎晩われわれは夢を見、その間アストラル体て外に出て外国にまで行ったりしているにもかかわらず、そのつどちゃんと元に帰ってきていることから考えても、おわかりいただけるだろう。
レピテーション、最後に、空中浮揚のための練習法を紹介しよう。修行者は、まず香を用意してたく。それから、机(テーブルでもお膳でもよい)の前に坐り、机の上で両腕を組み、その上に頭をのせる。ちょうど学校の宿題をやりながら、ついうとうとと眠ってしまった感じてある。
そして意識を集中させ、魂の進化を祈り、天界からの助けを懇願する。(天界からの助けについては後述)この姿勢で、眠気を感じるまで待ち、夢を見はじめる瞬間に、あらゆる種類の理性的判断を避けながら、また眠気を純金の宝のように持続させながら、自動的に本能的に空中に浮こうと、なるべく遠くまでジャンプする。
鉛筆で、どこまでジャンプしたかをマークし、毎日忍耐強くこの実験を試みよう。怠惰とあせりは禁物である。毎日、どれだけ進歩したかを確かめながら続けていく うちに、ある日、ある日オリンピック選手でもとうていおよばないほど高くジャンプしたことに気づくだろう。この時、空間を超越したもう一つの空間に到達したのである。
香以外にも、この修行を容易にするのに役立つものとして、卵の殻がある。卵は生命のすべての特性をもっているので、すばらしい助けとなるのだ。
ぬるま湯で卵を軽く緩め、一方に小さな穴をあけ、中身を出す。そして、その後からを太陽に当てて乾かす。できれば、太陽エネルギーの最も強い、午前9時から11時の間に。完全に乾燥させてから、すり鉢で粉末になるまでする。この粉を、修行前に胸ととわきの下にまぶすのである。
* * *
以上が、ナワリズムの初歩的な秘法の一部である。みずから試みてみようと思う読者は、あくまで信念をもって、あせらずに挑戦していただきたい。
信じ、そして求めること
ナワリズムの秘法は、アステカの聖なる学校=寺院のみでなく、チベットやエジプトなどでも教えられている。それぞれシステムは異なっても目的は同じであり、人間の精神的かつ超常的な進化のためのものである。だから、信心と尊敬の念を忘れることなく、決してこれらの知識を、悪い目的に使うことがあってはならない。
マリナルコの山々には、秘密の部屋がいくつかある。神聖冒涜者たちには、その入口は、はばまれているが、ナワール、またはアストラル体になれば、入ることが許される。
読者の中で、修行を積んだ上、入門しようとする人は、入口で昔のままの服装をした門番に出会うだろう。両側の門番に挨拶をすると、内部に通してもらえる。そして、内部の秘密の部屋で、宇宙の叡智を直接授かることができるのである。
さて、ナワリズムの秘密を概観した私たちは、ここで次のように言うことができる。マヤの奥義に通じた人々は、エジプトの初期のファラオと同様、消失してしまったのではなく、正しくは上の次元へその進化の過程を続けている、ということ。マリナルコ寺院で、いまも秘密の道場が開かれているように、である。
これらの寺院が「ミステリーの寺院」と呼ばれる所以である。ミステリーとここで言うのは、新聞やテレビなどで使われる「怪奇」のことではなく、「生と死のミステリー」のことで、生命を授けられた我々すべての人間が、探求すべきものなのである。
キリスト教の福音書にも、ガリレア海の水面を歩くイエスキリストの話があり、この種の教えを説いている。
イエスは群衆を解散させておられる間に、しいて弟子達を船に乗り込ませ、向こう岸へ先におやりになった。
そして群衆を解散させてから、祈るためひそかに山へ登られた。
夕方になっても、ただひとりそこにおられた。
ところが舟は、もうすでに陸からかなり離れており、逆風が吹いていたために、波に悩まされていた。
イエスは夜明けの4時ごろ、海の上を歩いて彼らのほうに行かれた。
弟子達はイエスが海の上を歩いておられるのを見て、幽霊だといってうろたえ、恐怖のあまり叫び声を上げた。
しかし、イエスはすぐに彼らに声をかけて「しっかりするのだ、わたしである。恐れることはない」といわれた。
するとペテロが答えられていった。
「主よ、あなたでしたか。では、私に命じて、水の上を渡ってみもとに行かせてください」
イエスは、「おいでなさい」といわれたので、ペテロは舟からおり、水の上を歩いてイエスのところに行った。
しかし風を見て恐ろしくなり、そしておぼれかけたので、彼は叫んで、「主よ、お助けください」といった。
イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかまえて、言われた。
「信仰の薄いものよ、なぜ疑ったのか」。ふたりが船に乗り込むと、風はやんでしまった。
舟の中にいた者たちはイエスを拝して、「ほんとうに、あなたは神の子です。」と言った。
(『マタイによる福音書』)
このように、キリスト教は信仰の超常性の発展を妨げるものではない。その上、ここでイエスは重要なキーを与えている。彼がペテロに、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言っているが、信・信念はナワリズムの実践のために、必要不可欠な要素である。
「信」とは「知」によって到達できるものであり、「意識ある信」は「知」そのものであり、もろくない。
「無意識な信」は狂信、迷信であり、着実な基礎を持たない、くずれやすいものである。
疑惑に満ちた人々や、懐疑主義者には、これらの修行はおすすめできない。内部の混乱や理性のあつれきによって、精神的に問題を引き起こしたり、脳に支障をきたす可能性があるからである。
これらの修行を積む際に、天界からの援助を求めることも可能である。上の次元には、我々が求め、懇願すれば、いつでも助けようと待ち受けている霊たちがいる。精神的進化の道程で、一人ぼっちになることは決してないのである。
聖書にもあるように、ひとつの約束が我々に与えられている。
「たたけよ、さらば開かれん。求めよ、さらば与えられん」
したがって、我々のなすべきことは「求めること」である。自分の最も信頼する神に助けを求めることである。たとえば、インドの聖人、ババジ、あるいはその弟、マタジ、またエジプトの聖人、ハルポクラテスや、ブッダでもよい。
さて、このようにして、われわれは、徐々にナワリズムをわがものにし、精神を浄化してくことができる。様々な秘法をマスターしていくのと並行して、われわれの内部から、ねたみや動物的性欲、エゴイズムなどの心理的毒素が焼却していくのである。
この段階まで来ると、われわれは、次の段階への入口に立っている。
つまり、「生き返りの秘法」や 、「死を克服する秘法」を身に付ける資格を持つに至る。

