スペイン人たちによって徹底的に破壊された都市、チョル-ラ。そこで7つの神殿ピラミッドが発見された。
驚くべきことに、その神殿の構造は、7色の光に導かれた人類の霊的進化の歴史を表していた!


文・写真 メキシコ人類考古学者 ミゲル・ネリ 「学研ムーNo115号」掲載

大空にアーチを描く七色の虹は古来から、神々と人間をつなぐ懸け橋として、多くの神話や民話の中で語られ、また人々のロマンを掻き立ててきた。
古代メソアメリカ文明においても、神々からその被造物である人間の進化のためにもたらされた知恵と叡智は、七色の光線として表現される。

第1の光線は黄金色で、普遍的知恵をもたらし、第2の青色光線は力とパワーを、そして第3のばら色光線は神々の愛を届ける。
白の第4光線は美と芸術を開発する感性のため、第5の緑の光線は苦痛を癒す医術、第6のルビー色(黄金赤)は、心の神秘的な力を湧き出させる源泉となる光線であるという。

そしてそれらすべてを総括する第7の光線が紫色、変換と精製(昇華)すなわち常に洗練し進化すべき、被造物の運命と方向を示すものだという。
これら7色の光の橋を渡ることによって人間は神々の国に行き着くことができるのだ。

7つのピラミッドが入れ子状に建造された構造を表す模型。

そこから「7」は「勝利」を象徴する数字としても使われることになるのだが、メキシコの古代文明時代の歴史をふりかえると7色の光線がいかに文明の形成と成長を導くものであるかの具体例を見ることができる。

メキシコの首都、メキシコシティーとプェブラ市の中間にあるポポカテペトル山(通称ポポ)の麓にチョルーラと呼ばれる街がある。

その昔、文化・宗教・交易の中心地として栄え、その名は中央アメリカ全域に知られるほどの大都会だったが、16世紀にスペインに征服されてからは、その強大な影響力ゆえにことごとく破壊され、歴史に残る大虐殺が行われた。

生存者たちと資材はヌエバエスパーニャ(新スペイン)の最初の首都となる、プエブラ・デ・ロス・アンヘレスの建築に連れ去られてしまった。

ピラミッド内部にあるトンネル。このト
ンネルを通って神々を祀る部屋へと行く。

スペイン人征服者たちの主要な目的のひとつは、カトリックの布教とヨーロッパ文化導入のため、あらゆる伝統の痕跡を抹殺することだったのだ。
その結果、文字通り大都会だったチョルーラも無人の廃虚と化し、人々の記憶からも葬られてしまった。その後、原住民の小さなグループが定住し現在に至ってはいるが、いにしえの栄華を思い出す者もいない。

そんなチョルーラが考古学にその名を現すようになったのは、1798年の道路工事がきっかけだった。つまりある丘の麓で工事を行なっていた人々が地下にマヤアーチの古い建造物を発見したのだ。

7つのピラミッドが隠されていた丘の頂上には、1594年にカトリックの宣教師たちが建てた教会がある

しかし独立戦争の勃発(1810年)で、その当時は何の調査も行われず、本格的にメキシコ政府が発掘器材と調査団を送ったのは1930年になってからのことだ。まず最初に発見されたのは、道路工事が行われた場所に隣接した丘と思われていたものは、実は自然の丘ではなく巨大なピラミッドであるということだった。

だが頂上にはカトリック宣教師たちが1594年に建てた「救済の聖母」を祭る教会があるために、外側からの発掘は困難であると考えた考古学者たちは、このピラミッド型建造物の内部を掘ることから始めた。こうして地下の発掘は多くの石段や石台を昇り降りしながら全長9kmにおよび、驚くべき事実があきらかになった。

調査団を驚愕させたのは、このピラミッドの途方もない大きさだ。それは長い間頂上に教会のある、木と雑草に覆われた丘と思われていたものは、実は、その内部に一辺長さが450mの基盤と高さ65mの人工建造物を隠していたということだ。

その上このピラミッドの内部には、もうひとつのピラミッドがあり、さらにその中にもうひとつ、それぞれ時代的にも、建築様式も、文化的にも異なるピラミッドが重なるように6つ発見され、合計7つのピラミッドであることが解明したのだ。つまりこの神殿は、合計7つのピラミッドが入れ子状に組み入れられて構成された建造物であることが判明したのである。

それ以外にも各文化の神々に捧げられた石造りの祭壇、秘密の教えを授けるイニシエーションの神殿、33箇所の墳墓には冥界へ旅立つ霊魂のための食物や陶器、黄金や美しい鳥の羽の奉納品、翠の首飾りなどが発掘された。

神殿の内壁は赤・黄・青・白・黒の5色を基調にした色鮮やかな壁面で飾られており、モチーフとしては次の3種類に分類された。
①チャプリン(バッタ)で象徴されるところの「意識」に関するもの
②ケッツァル鳥の冠を着けた女性神官が神酒を男性神官に供する図で表される「性」に関するもの
③神秘の黒で描かれる頭蓋骨で象徴される「死」に関するものである。

ピラミッド建設時の再現図。チョルーラのピラミッドは、遠くからやってきたマスターたちに指導されて作られた。

また7つのピラミッド神殿については、7つの各光線と関連して次のような歴史が明らかになった。

つまり神殿を建設することによって、周辺に共同体を形成、定着させる初期の段階があった。その後の教育を通じて進歩、発展を促し、さらに後には他の地域からも学習しに訪れる人々を指導することのできる勉学センターの段階もある。と同時に全国的な聖域とするまでの過程を段階的に観察することができるのだ。

それは当然、長い年月の経過と体系的な教育があってこそ可能なものであり、それぞれ異なった部族のマスターたちが各段階を担当したのだ。

この何世紀にも渡る壮大なプロジェクトを開始した最初の教育者たちは、オルメカ文明に属する人々だった。オルメカ文明とは、メキシコ湾岸に定着した中央アメリカ最古の文明で、後のすべての文明の母体となったと言われる。

文明と呼ばれるものが誕生しつつあった遠い昔、この地域にはほとんど未開のインディオが住んでいた。彼らの肌は鋼色であった。また数は少ないが付近を流れるアトヤック川流域には漁と狩で生活を営む巨人のインディオの部族もあった。

オルメカのマスター達によって集められ、原始的な共同体が始まると、まず最初の神殿の建設がはじまった。それは円形のピラミッドで、彼らが初めて知った神「9つの雨の主」という意味の「チクナウィキアウイトル」に奉献された。こうして最初の宗教が始まり、それとともに農業、焼物、サボテンの線維から造る織物などが教えられた。

この原始的な村落がそれらの知識と技術を習得し、次の新しい知識を受けることのできる状態に至るには、何世紀もの年月が過ぎ去ったことだろう。第1の光、黄金色が表す普遍的な知恵がもたらされる時代はこうして過ぎていった。

そして、第2の知識を与える人々がやってきた。オルメカの教育者たちによって開始された教育の仕事は、ユカタン半島のマヤ地域から送られてきたマスターたちに受け継がれた。マヤの人々は、もう既に多くの教育を受けて天文学をはじめとして数学、暦学、医学などの分野で秀でていた。彼らにとってこの部族の教育段階を上げることはそれほど困難なことではなかった。それはちょうど幼稚園の子供が小学校に入るように、文字の読み書きを習い、数字や歴について習得する段階だ。

これらの基礎的な知識を得て一番目のピラミッドの上に二番目のピラミッドを建立した。今度は四角い形で各辺が東西南北に向き、礼拝の場でもあるとともにカレンダーの機能も持っていた。長い年月を経て民族や文明が進化する過程を観察するのは非常に興味深い。研究をすればするほど歴史は決して偶然の産物なのではなく、ある一定の方向に導かれる体系的プロセスの結果に他ならないと言わざるを得ない。

メキシコ国内に実在する豊富な遺跡、痕跡は、それらの過程を段階的かつ正確に再現することを可能にする。叡智の7つの光線とは我々の手を引いて、常に高等な段階に導く力のようなものだ。チョルーラの遺跡はまさにその結晶と言えるだろう。

廃墟となる前のチョルーラ予想再現図。16世紀にスペイン人たちがやってきて破壊す
る前まで、チョルーラは中央アメリカで文化的にも経済的にも最も栄えた大都市だった。

 

こうしてその「力」に送られた第3番目のグループが到来する。現在のオアハカ州に位置するモンテアルバンからやって来たサポテカ族の人々だ。彼らはチョルーラに儀式用陶器の作り方や(古文事)の書き方を導入し、さらに金属の治療的・魔術的特質を活かし、精錬するための鋳造と結合方法を教えた。

この時代に重要な古文書や写本を描くすぐれた書記が生まれるが、後世の我々が歴史的概要を知ることができるのは彼らのおかげだ。またいわゆる民芸と呼べる技術が発達し、それとともに創造する感性も養われ始めた。

第3番目のピラミッドは以前のものと比べて倍の高さを持ち、美しい壁画と秘密の小部星に続く通路が特徴としてあげられる。神殿だけでなくさらに高等な学習の目的を持つ学校と図書館も建造され、この時期にはめざましい人工増加がみられた。それとともに新たな都市体系が必要となってくる。

その課題は第4のマスターであるテオティワカンのグループに任された。彼らは大メトロポリスの建築や都市計画のエキスパートだ。テオティワカンの建築技師たちは未来の世代にまで残るモデル都市チョルーラの設計を通じて重要なポイントを教えた。すなわち民族としてまた個人として本当の意味で発達するためには次の3つの見地のバランスを失うことがあってはならないということだ。これら3つの点を順番に守りその均整を保のであれば、成功は確実、勝利の秘密はそこにあるのだという。

まず第1に精神的見地。すなわち神の存在を認め、崇拝すること。第2の見地は教育。体系的・客観的な教育を設定すること。

そして第3に日常生活に必要な物資の生産と開発である。これら重要なメッセージは都市建造に具体的に表され、第1の点を象徴する神殿が他のどの建造物より大きく高く造られた。

次に続くサイズとしては高等教育の学校、そして3番目に市場と生産用の製作所である。さらに都市の中心部を囲んで一般住居用建物が対称的に配置された。

こうして当時としては最も近代的に計画された大都市、チョルーラが誕生した。チョルーラ市民はテオティワカンのマスター達に警告された。

前述の3つの見地を正しく守るのであれば、成長と発達は長い間続くだろう。しかし精神的見地と教育よりも「生産」を最も重要視するようなことになるならば、または精神的見地をないがしろにし教育に重点を合わせるのならば、自然の法則によってバランスを失い、民族の退廃は余儀なくされるだろう。また教育を忘れて精神的見地のみに焦点を合わせるならばその結果は理性の欠如した狂信となるだろう。

トンネルの出入口。ここから入って暗い通路を通り抜けると、地下にある秘密の寺院に着く。

満開の花のようにチョルーラは咲き誇った。こうしてこの大都会の住民たちは、いよいよ次のプロセスを生きることになる。それは物理的な発展だけでなく、今度は意識的な努力を伴うある心理的行状と洗練を意味する段階だ。

この分野の叡智を彼らに与えたのはトゥーラからやって来たトルテカの人々だ。「トルテカ」という言葉は後に「石工職人・芸術家」を意味する代名詞になったほど、彼らは生まれながらの芸術家だった。トゥーラは、巨人たちの場所、神ケッツァルコアトル誕生の地だ。ケッツァルコアトルとは「羽毛の蛇」の意味で、16世紀にスペイン人たちが到来するまで中央アメリカ全域で敬われた神の象徴的人格化だ。

トルテカのマスター達は石を彫刻し、芸と技を磨きながら、心の鍛錬をする蕃美的開発のスペシャリストで、チョルーラの人々の民芸制作の感性は洗練されたインスピレーションに昇華するに至った。もう量はそれほど重要ではなく、「質」の段階だ。芸術と美の分野で成長すると同時に、虚栄とうぬぼれを養うことのないよう充分注意を払うということだ。これは重要な点で、どのピラミッドや彫刻、壁面、陶器、宝石などを例にとっても作者のサインや印はどこにも見当たらない理由だ。

トルテカのマスターから習得した彼らは、理解した本当の芸術とは神聖な場所からインスピレーションとして我々に届くものであり、我々自信がそれを表現することによって宇宙的表現の美しさと神々の愛を理解するためのものであり、値段もなく、独占もなく、制限も終さえないものだということを。この時代、チョルーラには合計433もの寺院やほこらが建築されたが、ひとつの例外もなくそれらは美しく装飾されたものだ。また全体的な心理的向上がみられ、社会のモラルの向上も実現した。

第5のピラミッドはケッツァルコアトルを主神とした高等神秘の神殿を内包するもので、この時から神官と神子(女性神官)の教団が創設された。このころにはチョルーラは全中央アメリカの中でも最も高等な学習センター、最も種類豊富な市場として右に並ぶものはなかった。

スペインの征服王、コルテス将軍と彼の兵士たちがチョルーラに到着した際、その立派な都市に驚嘆し、本国スペインの国王にその印象を書き送った。

その書簡によるとチョルーラは巨大な神殿、寺院がすばらしい技術で建てられ、遠くからの眺めはカスティーリャ(スペイン)のバリァドリッド市に似ているとのことだ。また市民についても、大変教育の行き届いた人々で、みなりも優れていると称賛した。

確かにこの時代としては、大変洗練された高等な教育を受けた生活を彼らは営んでいた。完璧な計画とコスミックな方角に添った都市に排水装置や濯漑用水、歴などを使うと同時
に、医術や魔術を実践し、テオクラティックな宗教形態を持っていた。そしてこれらすべてを彼らの共同社会に適用する理想的な社会主義を体現した。

こうしてこの時こそ、チョルーラの住民たち次のそして最も神秘的な教師を迎える準備ができたのだ。その教師たちとはショロトルのチチメカ族と呼ばれる人たちだった。

そう、謎の部族チチメカは今までの前任者たちとは異なり、定住の地というものを持たなかった。どこからやって来たかさえもわからなかった。

北から移動して来た7つのナウワトラカ族の一族だというものもいれば、メキシコ北部の山岳地帯のナワールを先祖としているとも言われた。弓矢を自在に操り、「野生のまま」とか「飼い馴らすことは不可能な」という意味のチチメカという名で呼ばれ、他のすべての部族から恐れられていた。彼らの生活は戦いそのもので、目に見える敵と見えない敵と戦っていた。家を持たず、ある場所に突如として現れたと思うと夜には消えていた。

そんなチチメカ族のことを人々は「紅色の犬」の形をしたナワールだとか、鷹のように飛ぶことを知っているのだとか言って、彼らを恐れた。神出鬼没で敗北を知らず、どこにいるかもわからない。領地を持たず、従って領地に縛られることもなく、物質的財産の所有にも何の興味も示さなかった。それゆえに一部の人々は彼らのことを野蛮であるとするが、それは彼らのライフスタイルなのだ。彼らの唯一の目的は、それは自由を守るための、生命を賭けた戦いだった。

事実、後にメキシコがスペインに征服されても彼らは戦いを放棄することは決してしなかった。戦いながら生まれ、戦いながら死んだ。敗北ということを知ることがなかった。

この謎に満ちた戦士たちの軍団は、ある一人の王によって訓練され、構成された。王の名は、ショロトルという。ショロトルとは「水から生まれた稲妻」「死ぬことを拒む者」という意味だ。

ショロトルとチョラールの出合は、次のようなものだった。これは実際の子孫の一人による記録からの引用だ。

ある晩のこと、蒼厩を見上げていた君主ショロトルは宵の明星に視線を合わせた。

するとその星はますます輝きを増したかと思うと、そのまばゆい光は美しいケッツァルの羽をつけた蛇となり、ショロトルのいた場所まで飛んで来たのだ。彼はそばまで来るとその風のような音の蛇は人の形になった。これぞケッツァルコアトル自信である。

君主ショロトルが頭を下げると、その「風の声」エヘカトルが言った。 
「ショロトル、星が示す方向に向かい、成すべきことを成就しなさい。そうでなければあなたとあなたの戦士たちは死に絶えるだろう。」
ひゅうひゅうと唸るような風の声は再び蛇の形となって夜空に舞い上がり、金星の輝く光に吸いこまれていった。君主ショロトルはその後いく晩も夜空を見上げて沈思黙考した。星が告げる運命の印しを見る日まで待った。こうしてその翌日、ショロトルは戦士たちの隊長6人を集めて言った。
「時は来た。南に下る準備をせよ。星が示す場所に我らの住まいとなる場所がある。」

ここまでが子孫の一人による記録だが、これから先の足取りは歴史的資料に頼ることにしよう。チチメカ族がメキシコ中央高原の谷に定着するまでの過程を詳しく描写した古文書があり、その名も君主の名から「ショロトル コデックス」と呼ばれる。豊富な図とナウワットル語の叙事文からなるこの文献から、メキシコ北部の山岳地帯と砂漠地帯に散在していたすべてのチチメカ族がいかにして集められ、遠く南へ旅立ったかを詳しく知ることができる。

長い民族移動の旅の後、彼らが到着した場所はアトランテ(アトランティス人)と呼ばれる巨人の彫刻や壮大な寺院群が残されてはいたが既に住人たちは去ったあとのトゥーラの都だった。すべては雑草に覆われた廃虚でトルテカの人々がマヤ地域に去ってから既に時久しかった。トルテカの人々はマヤ地域で文化的な再建、復活に協力し、著しく影響することになるがそれは特にチチェン・イッツァーなどの遺跡に見ることができる。

さてチチメカはそこにも滞らずさらに前進を続ける。そして遠くまで展望のできる丘の上に着いた時、ショロトルは戦士たちの隊長を呼び集めて言った。「この土地を我らのものとして、我らの神殿と我らの街を建造し、ここに我らは住む。」

そこで母なる大地に許しを乞う儀式を行い、東西南北にそれぞれ弓を射、草木を撚り集めて縄を作り、さらにその縄を撚ってしめ縄を作り円く結んだ。そこで火の神を呼ぶと、縄は炎となって燃え、あとには灰が残った。その灰を手に取り、風の神を呼ぶとそれを四方の風に乗せて飛ばせた。

こうして彼らが所有したこの土地はテナユカと呼ばれる。「蛇の城壁」という意味だ。蛇の城壁に囲まれたピラミッドを建設し、彼らの街を作り、こうして彼らの帝国が定着した。これは紀元11世紀のことだ。

君主ショロトルは「とうもろこしの聖なる花」トミヤウという名の女性を妻にめとり、一人の男の子と二人の女の子の父親となった。男の子はノパルツィンと名付けられた。(団扇)サボテンの枝という意味だ。二人の女の子は後に、近隣の部族の首長に嫁入りした。

これらすべてが起こっている間、チョルーラはさらに栄え、オアハカやユカタン地方、現在のベラクルス地方へ旅する人々が、必ず通過するという地の利を得て、ますますその
影響を拡げていった。

ひとつの段階からもうひとつの段階への移行一定期間というものがあることも、興味深い。叡智の7つの光線は充分に成熟するのを待ってから新たな知識とマスターを送るのだ。また言い換えれば、習得したことを実践し、結果を見、順応させる過程が必要であるということだ。

ショロトルの長子、ノパルツィンが成長すると、テナユカの首長に任命された。そこではじめてショロトルは妻のトミヤウと何人かのチチメカ戦士たちを連れて、チョルーラに向かった。

(上)チチメカ族のことについて書かれた古文書の絵。
(下)神殿ピラミッドの復元は、今でも行われている。

「見えない神秘」について、教えるためだ。すなわち我々人間の最も奥深い所に存在し、奥義参入の苦しいプロセスを通じてのみ識ることのできる神秘のことだ。

チョルーラでショロトルが最初にしたのは以前のピラミッドのさらに上に第6番目のピラミッドを建設することだった。チョルーラの人々は尋ねた。
「どうして新しい部族のマスターたちがやって来ると、いつも新しいピラミッドをその上に作るのでしょう?」

ショロトルは答えた。
「ピラミッドは人間自信を表すからだ。人間の中の7段階だ。習ったことを自分自信の中に蓄積してゆく寺院だ。教育の目的は人間が自分自信で自分の創造を実現することにある。」

ショロトルはこうして第6のピラミッドの内部の秘密寺院で教えた。人間を内的に自由にするもの、人間を永遠に宇宙と神々と一体化させるものについて、ショロトルは113才で他界するまで伝授し続けた。長い長い年月を経て受け取ったすべての知識と体験に基づいた成熟さを持って、チョルーラの人々は、7番目すなわち最後のピラミッドを完成させた。そしてショロトルに肖って街の名を正式にショロトランと命名した。Xolotllanの名は訛ってチョルーラと発音されているが、いまだに続いている。

1519年、古い預言の通り、スペインの征服者たちが到着した。その結果は前述の通り、大虐殺と破壊行為によって廃虚となるチョルーラだが、ショロトルの時代からスペイン人たちがやって来るまでの間にチョルーラはその最も重要な使命を全うした。すなわち、7つの光線を通じて受け取ったすべての叡智を広く伝え、新たに花開く文明の基盤として役立つことだ。

この新たな文明とは、中央アメリカで最も繁栄し、最も強大な帝国テノチティトランの都を築くべく、かの有名なアステカである。